私の自宅のまわりは、田んぼと畑ばかりですが、今、菜の花が満開です。黄色がとてもきれいでしょ?私の大好きな色です。
4月29日は、地元を回った後、会議に出席しました。昼に本を買おうと、クレメントに寄ったのですが、「上村さんでしょ。」と声をかけられ、見覚えのある顔?なんと子どもの保育所時代、おなじ年だった女の子のお母さんでした。・・・ということは、隣で子どもさんをだっこしてるのが、うちの息子と同い年だったお嬢さん!?時間の経過を感じた瞬間でした。
月別: 2013年4月
4.28 女性連絡会議の宣伝で、発言を終わり、ほっとひと息
4.28「主権回復の日 記念式典」の中止を求める女性連絡会議が宣伝
「主権回復の日」政府式典に反対する4.28徳島行動
4月28日(日) 13:00~徳島駅前で「主権回復の日」を祝う政府の式典に反対して、民主党、日本共産党、社会民主党、新社会党の4党が勢揃いして街頭演説を行いました。真ん中が日本共産党徳島県委員会委員長の上村秀明(私の夫)です。
政府は今年に入って、4月28日を「日本国と平和条約の発効による我が国の完全な主権回復及び国際社会復帰60年の節目を記念」して式典を開くと決定し、本日11:00~天皇・皇后出席のもと、政府主催の式典を行いました。
1952年4月28日は、サンフランシスコ講話条約発行日です。戦後、連合国の占領下にあった日本は、この条約により、北緯29度以南の沖縄、奄美、小笠原をアメリカの施政権下に置くことと引き替えに独立を回復しました。そのため、沖縄の人々はこの日を「屈辱の日」と呼んでいます。沖縄は、これ以後、10年以上にわたり、本土への復帰をめざして闘い、これに連帯した日本国民と国際社会との共同の、文字通り、血と涙の闘いの末、やっと日本本土への復帰を勝ち取ったのです。しかし、願っていた「基地抜きの復帰」はかなわず、それが今も普天間などの基地問題につながっているわけです。こうした経緯があるため、戦後60年にわたり、4月28日は「日本の主権回復を祝う」日などとされてこなかったのです。
4月28日を日本の「主権回復の日」として祝う安倍内閣の思惑=1952年4月28日以前に発布された現憲法は、日本の独立前にアメリカにおしつけられた憲法だ。これを破棄し、自らの手で新しい憲法をつくる、まさに「日本をとりもどす」=このたくらみが透けて見える行為ではありませんか。しかも、この式典に天皇を出席させるなど、憲法違反もはなはだしい。天皇が一言もことばを述べなかったということは、まさにこの異常さを象徴しているように思います。
日曜市で、新町西再開発の住民投票を求める署名の呼び込みをしました
日常活動にもどって
4月25日の夜の最終フライトで徳島に帰って来ました。この3日間、初めてのとても貴重な体験をさせていただきました。
26日は国府支部に初めてお招きいただき、立候補の動機やこの間の活動で感じたことなどお話させていただきました。その後、大学時代、私のあこがれだった大先輩(女性)の案内で支援者への挨拶回り。「共産党はいつもいいこと言うのに、なかなか(議席が)増えん。今度こそしっかり票を取ってよ!!」と励まされました。本当にみなさんの期待に応えられるよう、頑張らなくては!!
27日は、新町西再開発の住民投票を求める会の署名活動の支援で元職場や地域をまわりました。私は徳島市の住民でないため、受任者になって署名が集められないのが悔しいところです。
明日、28日は政府の「日本の主権回復」を祝う式典への抗議行動に参加します。
日本共産党四国ブロックの政府要請行動に参加
福島での仮設住宅訪問と除染の視察を終え、私は4/25の四国ブロックでの政府要請行動に参加するため東京に移動。
衆議院第一議員会館の志位委員長の控え室で四国の代表団と落ち合い、政府交渉に参加しました。
仁比そうへい前参議院議員(参議院比例代表候補)や春名元衆議院議員も参加されており、お二人の迫力ある交渉を間近に見させていただくこともでき、学ぶことの多かった一日でした。
私は、オスプレイの飛行訓練に対する抗議とTPP交渉参加問題、子どもの医療費無料化問題と3回発言の機会をいただきましたが、若い(30歳代くらいか?)官僚の卵?を相手に、まるで労使の団体交渉のバージョンアップといった感じでした。
私が在職中に徳島健生病院に勤めていたことがある白川香川県議や、医学対をしていた頃に高知医療生協で同じ医学対をしていた細川高知市議とも感動の再会が果たせました。