大栗清實顕彰碑・碑前祭に参加して

10時30分から健生阿南診療所で開催された「大栗清實顕彰碑 碑前祭2018」に参加しました。

達田良子県議が、日本共産党徳島県委員会を代表して来賓挨拶を行いました。
達田良子県議は、初めて阿南市議選挙に立候補して地域を回った際、どこに行っても「大栗先生にお世話になった。大栗先生は、お金がなくて医者にかかれない私たちを助けてくれた。」と言われたことを紹介。
大栗先生が生きておられたら、今の安倍政権の酷い政治について何と言われるだろうか・・・。戦争へ戦争へと向かう時代、大栗先生の遺志をついで、平和な日本を守るたたかいに、ご一緒に力を合わせましょう― と語りました。

 

今年は、藤田廣登(ふじたひろと)氏(労働者学習協会理事、伊藤千代子の会事務局、「治安維持法と現代」編集委員等)が、「治安維持法下の無産者医療運動と大栗清實ー民医連のルーツと先達たちが切り拓いたもの」と題した講演をして下さいました。

藤田氏は、戦前の活動家を掘り起こす研究を精力的にされている方で、「伊藤千代子研究」などで有名ですが、これまでの調査で大栗清實氏について明らかになった史実について、詳しく語られました。

大栗清實医師は、戦前、現在の全日本民医連につながる無産者診療所の所長を務めただけでなく、無産者診療所運動の基礎づくりから、その運動を全国に広げるリーダー的役割を果たしてきたことがわかってきたそうです。

戦前、貧農・労働者の診療所・病院を自分たちの手でつくろうという無産者の医療運動は、その影響力の大きさと広がりを恐れた権力によって激しく弾圧されました。
1941年に最後の無産者診療所が閉鎖されて、戦前の無産者の医療運動は終息したそうですが、この時までに20を超える診療所設立が準備されていたことと合わせると、この時代に、無産者の医療運動がほぼ全国各地に広がっていたとの話に驚きました。

私も、この無産者医療運動の歴史を引き継ぐ民医連の院所で働けたことをあらためて誇りに思うとともに、今、戦前の暗黒の時代を呼び起こすかのような政治の流れと、それに抗して平和と民主主義を守り発展させようとする新しい政治の潮流―市民と野党の共闘ーがせめぎあっている時代にどう生きるのかを考えされられたお話でした。

ちなみに、4月7日は、国民救援会の創立90周年だそうです。
この記念すべき日に行われた大栗清實顕彰碑 碑前祭に参加できたことは、幸運でした。