「第九」アジア初演100周年記念  第37回ベートーヴェン「第九」交響曲演奏会に行って来ました

鳴門市大麻町にあった「板東俘虜収容所」に収容されていたドイツ兵捕虜がアジアで初めてベートーヴェン「第九」交響曲の全楽章を演奏したのが1918年6月1日。今年でちょうど100周年ということで、鳴門市では6月1日は、初演当時を再現する形で、6月2日、3日は、日本、ドイツ、中国、アメリカの4カ国から集った大合唱団が、徳島交響楽団の演奏で歓喜の歌を歌う壮大な演奏会として鳴門市文化会館ホールで開催されました。
私は、その最終日、6月3日の演奏会に行ってきました。

鳴門市では、1982年、鳴門市文化会館の落成を記念したこけら落としで「第九」演奏会が開かれて以降、毎年演奏会が開催されてきたとのことです。合唱は、鳴門市民が中心となって結成した「鳴門市『第九』を歌う会」を中心に、全国から「『第九』を歌う会」が手弁当で駆け付けて担ってきたそうです。
管弦楽は、徳島が誇るアマチュア楽団、徳島交響楽団が担当してきました。

私も学生の頃は徳島大学交響楽団でヴァイオリンを弾いていましたが、大学時代の4年間を通して、定期演奏会で演奏する交響曲のなかで、ベートーヴェンの曲については、「第五番」「第八番」のみで、「第九」交響曲は、演奏したことはありません。最終章の歓喜の歌を歌う合唱団が必要ということで、難しかったのです。
徳島交響楽団のメンバーのなかには、徳島大学交響楽団出身の先輩たちも多く、また、今回のコンサートマスターは、私も知っている後輩ということもあり、格別な思いで耳を傾けました。大学の授業に出ているよりも楽器を手にしている方が長いのではないかと思うくらいオーケストラにのめり込んだ学生時代を目を閉じて懐かしく思い浮かべながら・・・。

ベートーヴェンの「第九」は不思議な曲です。何度も聴いてきたはずなのに、この日は、最初のヴァイオリンのささやきのような旋律から耳に残りました。それから最終章、「歓喜の歌」までがずいぶんと長い、こんなに長い曲だったかしらと思いながら、様々な楽器が奏でる音と音の響き合いを楽しみながら、上がったり下りたり、強くなったかと思うと弱くなったりと、まるで曲がりくねった川の流れに翻弄されるような気持ちで、ひたすら聴き入りました。今までは、それほど注意深く聴いていなかったということなのでしょうか。

いよいよ最終章、バリトンのソロで歓喜の歌が始まります。ドイツ生まれのトーマス・ドーシュさんの柔らかで温かみあふれる指揮のもと、まるでそれまでせき止められていた水が一気に流れ出すかのように大合唱団の歌声と交響楽団の演奏が響き合う様は、自分もその渦の中にいるような錯覚を覚えるほどでした。

演奏が終わった瞬間、観客席から「ブラボー!」との叫び声が起こり、同時に大勢がスタンディングオベーション、総立ちに!私も思わず立ち上がり、拍手を送りました。
アンコールの「歓喜の歌」は、指揮者のトーマス・ドーシュさんが、客席に向かって
観客にも歌うようゼスチャーし、それに応えて立ったまま歌う人々。久しぶりに胸が熱くなるほどの感動を覚えた演奏会でした。

37年という長きにわたり、徳島交響楽団と市民で結成された合唱団が手弁当で練習を重ね、鳴門市と鳴門「第九を歌う会」が主催して演奏会を重ねてきたという歴史の重みも感じました。

演奏会に先立ち、主催者を代表して挨拶に立った泉 理彦 鳴門市長は、鳴門の「第九」演奏会はこれからもずっと続くと語りましたが、徳島には、こんなすばらしい音楽の歴史がある、決して「文化不毛の地」などではない、それはこの歴史を知らない人たちが言う言葉だと、あらためて実感した日でした。

残念なことに、この鳴門「第九」演奏会は県の後援もなく、知事のメッセージも寄せられませんでした。
「とくしま記念オーケストラ」事業を終えるということで、今年2月の「第九」演奏会で「大団円を迎える」と語った知事の言葉が、小さな棘のように私の心に刺さっています。この鳴門「第九」演奏会こそ、県が上げて後援し、全国に発信していくべきものではなかったかと、少し苦い思いを抱きながら会場を後にしました。

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