上村きょう子の見て歩記No.69を紹介します

私のニュース、「上村きょう子の見て歩記」No.69を発行しました。このニュースは、上村担当地域のしんぶん赤旗読者のみなさんに、2週に1回、赤旗に折り込んでお届けしています。

今号は、鳴門第九演奏100周年記念コンサートについての特集です。

以下、ニュースの記事を紹介します。

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感動の渦に巻き込まれて―「第九」アジア初演か ら100年  第37回ベートーヴェン「第九」交響曲演奏会を聴いて―

鳴門市大麻町にあった「板東俘虜収容所」で、ドイツ兵捕虜がアジアで初のベートーヴェン「第九」交響曲全楽章を演奏したのが1981年6月1日。
今年でちょうど100周年ということで、鳴門市では6月1日は、初演当時を再現する形で、6月2日、3日は、日本、ドイツ、中国、アメリカの4カ国から集った大合唱団が、徳島交響楽団の演奏で歓喜の歌を歌う壮大な演奏会として鳴門市文化会館で開催されました。
私は、その最終日、6月3日の演奏会に行ってきました。

■ 市民とアマチュア楽団の手弁当

鳴門市では、1982年、鳴門市文化会館の落成を記念したこけら落としで「第九」演奏会が開かれて以降、毎年演奏会が開催されてきたとのことです。合唱は、鳴門市民が中心となって結成した「鳴門市『第九』を歌う会」を中心に、全国から「『第九』を歌う会」が手弁当で駆け付けて担ってきたそうです。
管弦楽はアマチュアの徳島交響楽団が担当してきました。
私も学生の頃は徳島大学交響楽団でヴァイオリンを弾いていましたが、徳島交響楽団のメンバーのなかには、徳島大学交響楽団出身の先輩たちも多く、また、今回のコンサートマスターは、私も知っている後輩ということもあり、格別な思いで聴き入りました。

■ ベートーヴェン「第九」の魅力

この日聴いたベートーヴェン「第九」は、格別でした。何度も聴いてきたはずなのに、最初のヴァイオリンのささやきのような旋律から耳に残りました。それから最終章、「歓喜の歌」までがずいぶんと長い、こんなに長い曲だったかしらと思いながら、様々な楽器が奏でる音と音の響き合いを楽しみました。その響きは、上がったり下りたり、強くなったかと思うと弱くなったりと、まるで曲がりくねった川の流れに翻弄されるようです。

 

■ 「歓喜の歌」で観客も一体に

いよいよ最終章、バリトンのソロで歓喜の歌が始まります。ドイツ生まれのトーマス・ドシュさんの柔らかで温かみあふれる指揮のもと、まるでそれまでせき止められていた水が一気に流れ出すかのように大合唱団の歌声と交響楽団の演奏が響き合う様は、自分もその渦の中にいるような錯覚を覚えるほどでした。
演奏が終わった瞬間、観客席から「ブラボー!」との叫び声が起こり、同時に大勢がスタンディングオベーション、総立ちに!私も思わず立ち上がり、拍手を送りました。
アンコールの「歓喜の歌」は、指揮者のトーマス・ドーシュさんが、客席に向かって観客にも歌うようゼスチャーし、それに応えて立ったまま歌う。久しぶりに心が揺さぶられるような感動を覚えた演奏会でした。
37年という長きにわたり、徳島交響楽団と市民で結成された合唱団が手弁当で練習を重ね、鳴門市と鳴門「第九を歌う会」が主催して演奏会を重ねてきた歴史を肌で感じた演奏会でもありました。

 

■ 鳴門の「第九」はこれからも

演奏会に先立ち、主催者を代表して挨拶に立った泉理彦鳴門市長は、鳴門の「第九」演奏会はこれからもずっと続くと語りましたが、徳島には、こんなすばらしい音楽文化の歴史がある、決して「文化不毛の地」などではない、それはこの歴史を知らない人たちが言う言葉だと、あらためて確信しました。

 

■ 県民文化の振興について思う

残念なことに、この鳴門「第九」演奏会は県の後援もなく、知事のメッセージも寄せられませんでした。
「とくしま記念オーケストラ」事業を終えるということで、今年2月の「第九」演奏会で「大団円を迎える」と語った知事の言葉を思い起こし、
この鳴門「第九」演奏会こそ、県が挙げて後援し、全国に発信していくべきものではなかったかと、苦い思いを抱きながら会場を後にしました。

 

就学援助制度の改善を求めて

5月29日、「義務教育の無償をめざす教育大集会」実行委員会の県交渉に参加しました。
実行委員会では、県交渉に先立ち要望書を提出しています。
この日は、市町村の実態も示しながら、小中学校入学前の入学準備金支給と、就学援助について文科省の通知に沿った改善がされるよう、県の援助を強めてもらうよう要望しました。

 

 

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