4.28「主権回復の日 記念式典」の中止を求める女性連絡会議が宣伝

 
 4党そろい踏みの抗議行動が終わったあと、女性連絡会議も抗議宣伝を行いました。私もマイクを持って、訴えました。
 
 日本は独立国と言いながら、未だに沖縄をはじめ、日本の国土のあらゆる場所に米軍基地がおかれ、日本国民の安全、安心など無視して、日本の陸海空を米軍が自由に使っている状況です。いったんことあれば、米国のための戦争の出撃基地にもなる日本。私たち女性は、このような社会を、未来を、子どもたちや若者たちに手渡すことなどできません。今こそ、憲法を改悪しようとする勢力に審判をくだし、真に平和な「日本をとりもどす」、平和憲法が本当に活かされる郷土をつくっていきましょう!!

「主権回復の日」政府式典に反対する4.28徳島行動

 4月28日(日) 13:00~徳島駅前で「主権回復の日」を祝う政府の式典に反対して、民主党、日本共産党、社会民主党、新社会党の4党が勢揃いして街頭演説を行いました。真ん中が日本共産党徳島県委員会委員長の上村秀明(私の夫)です。
 
 政府は今年に入って、4月28日を「日本国と平和条約の発効による我が国の完全な主権回復及び国際社会復帰60年の節目を記念」して式典を開くと決定し、本日11:00~天皇・皇后出席のもと、政府主催の式典を行いました。

 1952年4月28日は、サンフランシスコ講話条約発行日です。戦後、連合国の占領下にあった日本は、この条約により、北緯29度以南の沖縄、奄美、小笠原をアメリカの施政権下に置くことと引き替えに独立を回復しました。そのため、沖縄の人々はこの日を「屈辱の日」と呼んでいます。沖縄は、これ以後、10年以上にわたり、本土への復帰をめざして闘い、これに連帯した日本国民と国際社会との共同の、文字通り、血と涙の闘いの末、やっと日本本土への復帰を勝ち取ったのです。しかし、願っていた「基地抜きの復帰」はかなわず、それが今も普天間などの基地問題につながっているわけです。こうした経緯があるため、戦後60年にわたり、4月28日は「日本の主権回復を祝う」日などとされてこなかったのです。
 4月28日を日本の「主権回復の日」として祝う安倍内閣の思惑=1952年4月28日以前に発布された現憲法は、日本の独立前にアメリカにおしつけられた憲法だ。これを破棄し、自らの手で新しい憲法をつくる、まさに「日本をとりもどす」=このたくらみが透けて見える行為ではありませんか。しかも、この式典に天皇を出席させるなど、憲法違反もはなはだしい。天皇が一言もことばを述べなかったということは、まさにこの異常さを象徴しているように思います。

日曜市で、新町西再開発の住民投票を求める署名の呼び込みをしました

 4月28日(日)、8時から、繊維団地の日曜市で行われている住民投票の署名活動をお手伝いしました。私は徳島市の住民ではないため、受任者になって署名を集めることはできません。もっぱら署名の呼び込みをしました。今日は天気はとても良かったのですが、風が冷たくて、日陰の署名のブースでずっと立っていると体が芯から冷え込みました。間で、日向に出て、古田県議と街頭宣伝もしました。

日常活動にもどって

 4月25日の夜の最終フライトで徳島に帰って来ました。この3日間、初めてのとても貴重な体験をさせていただきました。
 
 26日は国府支部に初めてお招きいただき、立候補の動機やこの間の活動で感じたことなどお話させていただきました。その後、大学時代、私のあこがれだった大先輩(女性)の案内で支援者への挨拶回り。「共産党はいつもいいこと言うのに、なかなか(議席が)増えん。今度こそしっかり票を取ってよ!!」と励まされました。本当にみなさんの期待に応えられるよう、頑張らなくては!!  

 27日は、新町西再開発の住民投票を求める会の署名活動の支援で元職場や地域をまわりました。私は徳島市の住民でないため、受任者になって署名が集められないのが悔しいところです。

 明日、28日は政府の「日本の主権回復」を祝う式典への抗議行動に参加します。

日本共産党四国ブロックの政府要請行動に参加

 福島での仮設住宅訪問と除染の視察を終え、私は4/25の四国ブロックでの政府要請行動に参加するため東京に移動。
 衆議院第一議員会館の志位委員長の控え室で四国の代表団と落ち合い、政府交渉に参加しました。
仁比そうへい前参議院議員(参議院比例代表候補)や春名元衆議院議員も参加されており、お二人の迫力ある交渉を間近に見させていただくこともでき、学ぶことの多かった一日でした。
 私は、オスプレイの飛行訓練に対する抗議とTPP交渉参加問題、子どもの医療費無料化問題と3回発言の機会をいただきましたが、若い(30歳代くらいか?)官僚の卵?を相手に、まるで労使の団体交渉のバージョンアップといった感じでした。
 私が在職中に徳島健生病院に勤めていたことがある白川香川県議や、医学対をしていた頃に高知医療生協で同じ医学対をしていた細川高知市議とも感動の再会が果たせました。

除染状況の視察  雨樋の下のマスに溜まった雨水は線量が高い

 4月24日 除染状況の視察。宮本福島県議の自宅におじゃましました。雨樋の下のマスに雨水が溜まっていましたが、ここを計測すると3.15マイクロシーベルトでした。除染前は15マイクロシーベルトを超えていたそうです。屋根や雨樋の除染は、以前は洗浄していましたが、汚染水が飛び散ってかえってよくないとのことで、現在は布でこすり取る方法でしているとのことでした。

住宅地の庭の除染

 4月24日、住宅地の一戸建ての庭を除染した跡です。写真の真ん中より少し手前の地面に黄色の角材の頭が見えます。この下に放射能汚染された土壌を削って容器につめたものが埋め込んであるそうです。汚染土壌を積み上げてブルーシートで覆ってあるだけの所も多かったのですが、希望すれば埋め込んでもらうこともできるそうです。ブルーシートは結構目立つので、これを毎日目にするのは精神的にもかなり苦痛だとのことです。

さくら仮設住宅へ

4月24日
朝8:30過ぎに福島・相馬地区委員会の事務所を出発し、佐々木さんのお宅へ。この方は、さくら仮設住宅の近くで乳牛を飼い、牛乳を生産・販売されている農家なのですが、さくら仮設住宅の方への支援をずっとされていて、住民の状況もよく知っておられる方です。訪問の前にお話を伺っておこうということで、おじゃましました。とても、もの静かな方ですが、自分の家でとれた野菜などを仮設住宅の方に届けるなど、ごく自然に支援をされていてます。美味しい牛乳もいただき、いよいよ、さくら仮設住宅へ。ここは、30戸ほどの比較的小規模な住宅群です。双葉町から避難されてきた方の仮設住宅で、放射能汚染の影響が強いため、帰宅困難区域に指定されて自宅に帰られる見込みがない方ばかりです。2人一組で、昨日準備したお米と人参を配りながら、お話もお聞きすることができました。私が訪問した方はみなさん、先の見通しが見えないことが一番辛いとおっしゃっていました。農家で、広い家で生活し、田畑を耕してきたという高齢のご夫妻が、台所と6畳間(
畳が6枚入っているものの、普通サイズよりもかなり小さい)という狭い住宅で1年半生活してくるうちに、足が弱ってきたと言われていました。いろいろ思いはあるのだとは思いますが、「これも自分の運命だと思ってあきらめています。できるだけ自分でできることは自分でして、動くことで弱らないようにしている。」と笑っておっしゃっていましたが、目に涙が光っていました。人参とお米の差し入れに何度もお礼を言われていました。佐々木さんは、こうやって全国から来ていただき、訪問してもらって話を聞いてもらうことが、先の見通しが持てないなかでも「自分たちのことがまだ忘れられていない。」と励ますことにもなっていると思いますと言われ、私たちも少しは力になれているのかな、と思いました。