「大栗清實碑前祭2017」に参加しました

4月2日、健生阿南診療所で行われた大栗清實碑前祭に参加しました。
大栗清實氏は、徳島県生まれ。戦前、日本初の労働者・農民のための「大崎無産者診療所」の初代所長を勤めた医師です。
大栗氏は、治安維持法違反で捉えられ、大崎無産者診療所は閉鎖に追い込まれましたが、働くもののための医療機関、無差別平等の医療を提供するという精神は、戦後結成された全日本民医連に引き継がれ、全国に広がりました。
今や、全日本民医連で働く職員は、7万7千人を超えています。

碑前祭開催にあたり、日本共産党県委員会を代表して挨拶に立った達田良子氏は、秘密保護法に続く戦争法の強行、「共謀罪」創設を狙う動き、森友学園問題にも代表されるような教育の右傾化など、安倍政権による戦争する国づくりに抗して、大栗先生の、いのちを守り、くらしを守り、平和を守る想いを引き継いでいく決意を語りました。

今年の碑前祭では、大栗清實氏に多大な影響を受けた湯浅氏の講演がありました。
湯浅氏は、元帝国海軍少年兵で、「海龍(かいりゅう)」という水中特攻兵器の乗組員でしたが、出撃することなく終戦を迎えたそうです。
湯浅氏は、自分も含め、徹底して軍国主義をたたき込まれた当時の若者は、終戦で今まで信じてきたものが否定され、何を頼りに生きていいのかわからなかった。
そんな若ものが、毎晩のように大栗氏の家に集い、話を聞き、大きな影響を受けた。
この仲間のなかには、作家の北条民雄など、後に歴史に残る偉業を成した人物が大勢いた。
当時の仲間はみんな逝ってしまって、生き残っているのは自分1人だが、大栗清實氏は「日本の歴史に残る人物」であり、自分には、その功績を伝える役割があると思って、今日ここに来た ― と語られました。

最後に挨拶に立った徳島健康生活協同組合専務理事の吉野氏は、大栗清實氏がはじめた民医連医療を引き継ぐものとして、無差別平等の医療・介護の提供のために、組合員と力を合わせて頑張る決意を語り、2019年に竣工予定のセンター病院リニューアル成功への支援を訴えました。

会の終了後、私は、あらためて記念碑の前に立ちました。
去年は、この時期、記念碑の横の桜がきれいに咲いていたのですが、今年は、まだつぼみ。少し寂しい気持ちでしたが、記念碑に刻まれた碑文をあらためて読みながら、徳島県民医連で33年間働いた看護師時代を思い起こし、平和と民主主義、住民のくらしを守る政治への転換めざし、さらに頑張ることを誓いました。

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記念碑の碑文を囲み、記念撮影。左側は、達田良子県議です。
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徳島県民医連事務局長の楠藤さん作のマンガです。