22日、国民健康保険問題について、中央社会保障推進協議会・西日本ブロックの主催で、大阪で開催された西日本集会に参加しました。徳島県からは、県社保協のメンバー7名と徳島市議会議員の船越さん、古田さんの9名の参加でした。
最初に、神奈川県職員労働組合連合会の神田隆史氏から、「国保都道府県単位化と2020年度にむけた地域での運動課題」と題した基調報告がありました。
都道府県では、国保の都道府県単位化が行われてから初めての決算が出る時期になっていますが、国は、この結果も見ながら、医療費適正化(医療費削減)で初めて「マイナス評価」も導入し、普通調整金交付金(国からの交付金)を調整していく等、都道府県に対して、医療費削減の施策を進めるための司令塔としての役割を担わせていく方向をさらに強める方向です。
特に、一般会計からの「法定外繰り入れ」解消と都道府県単位での保険料統一を求める動きが強められるとのことで、今後の県の動きを注視しなくてはいけないと思いました。
また、医療費では東日本に比べて西日本が高い傾向にあるとのことで、これまでは、医療費の実績に応じて交付されていた普通調整交付金が西日本は削減されていくことになりそうです。 住民の保険料負担を軽減するために市町村が一般会計から繰り入れ(法定外繰り入れ)することができなくなり、国から交付されるお金も減らされるとなれば、医療費の高騰が即、住民の保険料(税)引き上げにつながることになります。
さらに、医療費を引き下げるために、「地域独自の診療報酬」導入を都道府県にせまる方策も検討されています。つまり、医療費を引き下げるために、これまで全国一律だった診療報酬を地域で変える(1点10円を1点8円に下げる等)ことが都道府県の判断で行えるようにするというのです。これが実施されれば、地域の医療機関は、これまでと同じ治療を行っても保険者から支払われる報酬が下がることになり、医療機関の経営を直撃します。
2040年を展望して、「誰もがより長く元気に活躍できる社会の実現」のために何が検討されているかについても紹介されましたが、「年金支給の開始は70歳から」(それまで働く)、医師や看護師、介護士など医療・福祉サービス分野で働く労働者が大幅に足りなくなることに対しては、ロボット導入や経営の大規模化・協同化なども促進して、「単位時間当たりのサービス提供を5%(医師は7%)以上改善」するとされています。人員を増やさずに労働効率を上げる、結局、これまで以上の過密労働が求められることになります。今でも長時間過密労働が問題になっているのに、とんでもないことです!
午後からは、各地での税の滞納処分・差し押さえの実態と運動についても報告がありました。 生活困窮で所得税を滞納した滋賀県野洲市の男性に対し、市が口座に振り込まれた給与を差し押さえたことは「違法」との判決(大阪高裁 9月26日付)で、国税に全額返還が求められたとの「全国初、画期的」なたたかいについて、本人と弁護団からの報告がありました。 この判例の影響は大きく、今後、全国でも同様のたたかいで勝利できる可能性が広がったとのことです。 本人は、「人権や三権分立など、自分が学んだことが実際にはどうなっているのか知りたかった。そのためには、どれだけ時間がかかっても、お金がかかっても惜しくないとの思いがあった。」とのこと。弁護士も若い方でしたが、大変難しいたたかいだと思っていたが、本人の意欲に支えられたと述べられていました。
この他の差し押さえでのたたかいの報告もありましたが、「日本では、『自己責任論』が蔓延していて、行政に不当な処分をされても権利意識が持てずにあきらめてしまう人がほとんど。行政の側も、『どうせ訴えないだろう』とたかをくくって、サラ金でもしないような個人情報を駆使した不当な処分を行っている。」「住民の生活の実態を見ず、役所の論理だけで滞納処分がすすめられている。滞納処分で給与を差し押さえられて困っている人は多い。こういう人たちを支えて、一緒に声を上げていく、行政にせまっていく組織・団体であるみなさん(各地の社会保障推進協議会)の活動が重要になっている。」という発言に、徳島県でも地域社保協をつくって頑張らなくてはいけないと思いました。
徳島県では、国保料(税)の滞納処分で資格証明書や短期保険証の発行が増えていますが、横浜市では、資格証明書等の発行は一切せず、加入者全世帯に保険証を発行しているそうです。これが担当職員の業務負担軽減にもなっているとの発言を聞き、「なるほど」と思いました。「滞納は市民のSOS」と、税金を滞納した市民など生活困窮者を支援する「くらし支えあい条例」を制定した野洲市のような取り組みも紹介されました。 集会の最後の締めくくりで、中央社保協の山口が言われた「地域社保協を全自治体の過半数につくろう、住民からの要求を掘り起こし、地域から運動を起こそう」との言葉を胸に刻み、帰ってきました。