28日、佐那河内村戦没者追悼式に出席し、追悼の言葉を述べさせていただきました。
追悼の言葉の中に必ずと言ってよいほど盛り込まれる「悲惨な戦争を二度と繰り返さない」「恒久平和を願う」とのくだり。この決意のもとに日本国憲法が生まれたということに、あらためて思いを寄せ、心を込めました。
以下に、私の追悼文を紹介します。
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平成29年度 戦没者追悼式に臨み、追悼の言葉を申し述べます。
約300万人もの国民が犠牲となった大戦が終わりを告げてからやがて73年が経とうとしています。この村でも、戦地に赴き犠牲になられた方が243名もおられます。亡くなられたご本人の無念はもとより、大切な家族を失ったご遺族の方々の悲しさ、悔しさは何年経とうとも色あせることはないのだということに思いを馳せるとき、あらためて、平和の尊さ、ありがたさを強く感じます。
NHKの朝ドラ「わろてんか」は、今、終戦間近の大阪を描き出しています。主人公のてんは、一人息子を戦地に送り出し、その安否もわからない不安な暮らしのなかで、自らが起こした「笑いの殿堂」も空襲で失います。戦争を知らない私たちにも、当時の暗い時代、戦争が人々の日常をどのように奪い、希望を、笑いを失わせていったかを教えてくれます。
戦後、もう二度とこんな悲惨な時代を繰り返してはならないとの強い決意のもと、日本国憲法が生まれました。日本国憲法は、先の大戦の悲惨な体験を経て日本国民が手に入れた最高の宝です。戦争放棄と国民主権、人権擁護など、2つの大戦を経た世界が目指すべき未来、最高の理想が込められています。この憲法と国民のたゆまぬ努力のもと、日本は、今日まで、他国と武力を交えることなく、平和を守ってきました。
ところが、今、この憲法を変える動きが盛んになっています。
憲法違反の集団的自衛権の行使を認めた安全保障関連法が施行されてからやがて2年を迎えますが、国会では、いよいよ憲法改正の発議が取り沙汰されるようになりました。何のためでしょうか。世界情勢の変化を理由に、日本もいざとなれば戦争できるよう備えなくてはいけないと言いますが、本当にそうでしょうか。
どんな国際紛争も戦争では何も解決しない、それどころか、ますます泥沼に陥ることを、私たちは世界でいやというほど例を見てきているではありませんか。
まして、現代は核戦争の脅威があります。ひとたび核兵器が使われるようなことになれば、戦争当事国だけでなく、この地球が終わる、そういう時代に生きていることを私たちはもっと深刻に考えなくてはいけないのではないでしょうか。
結局、紛争は話し合いでしか解決できないのです。
私は、平和な日本を、子や孫、その次の世代にも引き継ぐために、再び戦争する国への道を絶対に許さないために、この国の憲法を守りたいと思います。そして、世界中で、戦争やテロをなくそうと努力している人々と連帯し、平和な世界をつくるために力を尽くします。それこそが、先の大戦で犠牲になられた方々への真の慰霊の道だと思うからです。
最後になりましたが、本日、追悼式を開催していただきました関係者の方々、参列されたご遺族の皆様に深く感謝申し上げますとともに、皆様のご健康とご多幸を心からお祈り申し上げまして、追悼の言葉といたします。
平成30年3月28日
徳島県議会議員 上村恭子