神野美昭さんを偲んでー お別れ会が開かれました

17201435_662907030559372_563010107767993339_n[1]3月12日(日)午後2時から、神野美昭さんのお別れ会がありました。

神野美昭さんは、市議会議員を2期つとめられた後、反核平和運動に尽力された方ですが、国政選挙にも出馬し、ソーシャルダンスなどでも活躍されました。

晩年は、難病のALS(筋萎縮性側索硬化症)で闘病生活を送られ、人工呼吸器を装着しての自宅療養中、今年1月17日に亡くなられました。

私は、議員になる前年、原水禁世界大会に向けての自治体訪問で、佐那河内村に来られた際、ご一緒した思い出があります。確か2014年の夏だったと思います。「この頃足の動きが悪くなって、階段の上がり降りが大変。ゆっくり行くので、先に行って下さい。」と言われていたことを覚えています。近々大学病院で検査結果が出る予定だとのことでしたが、奥様に手伝ってもらいながらゆっくり階段を降りられる様子を見ていて「ひょっとしたらALSかも・・・」といやな予感がしていましたが、結果は予感通りでした。次第に動けなくなる身体に、どんなにか悔しい思いもあったと思いますが、健生病院に入院中にお見舞いに行くと、おだやかな笑顔で、希望を持って療養していると話されていました。

お別れ会では、神野さんゆかりの方々がそれぞれ「お別れの言葉」を送り、参列者1人1人が花を遺影に手向けました。

神野さんの功績を含め、党員としての生き様を語った党県委員長の言葉を以下に引用します。(写真は、山田豊県議のフェイスブックからシェアしたものです)

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神野美昭さんのお別れ会にあたり、日本共産党徳島県委員会を代表して、お別れの言葉を述べさせていただきます。

神野美昭さん、あなたの訃報を聞いて、あなたが、徳島の平和と民主運動のなかでどれほど大きな存在であったかを痛感させられたのは、私だけではないと思います。

 あなたは、若い時代、県評青年部長として、労組のなかでの討論をまとめる、大黒柱ともいえる存在で、若い人たちから慕われました。「仏の神野さん」というニックネームは、この時代からの、人への優しさとあたたかさから生まれたものでしょう。
あなたは、労働組合運動を通じて、日本共産党を知り、1964年に入党されました。それ以来、「『権力にへつらうことなく、自分に正直に』という生き方」を貫かれました。
1975年5月から83年5月まで、徳島市議会議員として活躍されました。市営住宅の自治組織の連合体、市住連を組織して、市営住宅の改善要求で対市交渉を根ばり強くとりまれたのもこの頃でしょう。

その後、あなたは、「国政を変えないとよくならない」と決意し、1983年以来、衆議院選挙に3回、知事選挙にも立候補されました。そのきっかけの1つは、日昇丸事件だったのでしょうか。
1981年の4月9日、米原子力潜水艦、ジョージ・ワシントンが日本船籍の日昇丸に衝突。船底に穴があいた日昇丸は15分で沈没しました。ところが、原潜は、救助活動もせず、当て逃げしたのです。その結果、野口船長さんら2名がなくなりました。あなたは、その船長さんのお宅、徳島市北島田1丁目の近くに事務所がありました。
あなたは、真相究明を求めて市議会でもこの問題を取りあげ、毎年「日昇丸デー」追悼集会を開いてこられました。日米政府は疑惑にフタをし、真相究明はいまも実現していません。「核ミサイルを搭載した原潜のいない平和な海を」の願いは、核兵器をなくさなければ実現できません。1982年に、あなたは、国連軍縮特別総会に参加し、当て逃げ事件と核兵器廃絶を訴えようとしましたが、アメリカへの入国を拒否されました。しかし、用意された1000枚のチラシは、国連総会で配布され、あなたが訪問したカナダをはじめ、世界との連帯も広がりました。
核兵器廃絶のたたかいは、その後、世界で大きく発展し、今年6月には、国連で、核兵器禁止条約の締結交渉が開始されようとしています。神野さん、あなたの核兵器廃絶、平和な世界をの熱い思いとたたかいは、世界をも動かしつつあります。お元気でこの画期的な動きを目にされたら、どれほど喜ばれたでしょうか。

神野さん。あなたは、党県委員会の常任委員、副委員長を歴任され、党づくりにも尽力されました。「反対」一辺倒から、住民の要求を実現する道筋、政策を示して選挙をたたかう、いまではあたりまえのことを軌道に載せる役割もはたされました。いま県党は、27人の地方議員をもち、議員数では自民党を超える第一党を維持しています。
神野さん。いまでは、安倍自公政権とその補完勢力と市民と野党の共闘が対決する新しい時代が切りひらかれ、野党連合政権の実現が焦眉の課題となっています。「国政を変える」というあなたの志は、あなたの不屈で献身的な活動を土台として、目前の課題となりました。あなたがお元気なら、「大事な時期だ、気を引き締めて頑張ろう」と、にこやかに激励してくれることでしょう。

前途には、さまざまな妨害や困難もあるでしょう。しかし、私たちは、あなたの遺志、不屈の献身的な活動をひきつぎ、当面する総選挙で比例四国ブロックで白川よう子さんの勝利、野党共闘の前進のために力をつくす決意です。神野さん、私たちの活動を安らかにみまもってください。

2017年3月12日
日本共産党徳島県委員会
委員長 上村秀明