大宮神社のお祭り

大宮神社の幟 今日は、地元の大宮神社のお祭りでした。

今年は、常会が「煮しめ当番」に当たっているので、私も定例の朝の日曜市宣伝を済ませて急いで地元にもどってきました。

集会所に集まった常会の女性陣10人で大量の蓮を削って塩揉みし、アク抜き。9時からかかって、12時前に蓮と太刀魚の酢の物ができあがりました。小さなパック80個に入れ分けて、煮しめと一緒に御輿や屋台などの担当陣営に配ります。(煮しめは料理屋に注文して届けてもらいます。昔は煮しめも手作りだったので、前日から大変だったそうです。)

男性陣が煮しめと酢の物、ビールや酒などを屋台と御輿の陣営に配りに出かけると、女性陣は昼食をいただき、しばし休憩。この間に、神社に見物に行ってきました。

神社では、すでに巫女さんの舞の奉納も終わり、境内では、馬当家(うまどうや)の一行馬当家が練り歩き出て行くところでした。かつては、本物の馬の手綱を持って歩く人、馬のえさを持って歩く人、馬を先導する人がいたのですが、時代と共に馬を飼う人もいなくなり、代わりに幟を持って歩くようになったそうです。

この後、 屋台と御輿は、神社近くの河原で昼食休憩。屋台には、きれいな着物を着た男の子が3人、太鼓を打ちます。昔は屋台も担いでいましたが、今は台車をつけて引っ張っています。屋台

夫は御輿の警護役を担当。大きな鉾(ほこ)を持って、御輿の前で立っていました。

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御輿の警護(秀明)

わが家の子供達がまだ小学生だった頃は、子供御輿も出て、大変賑わっていました。境内にもたこやきや綿菓子、オモチャ屋など、屋台が軒を連ね、晴れ着を着た子供達が群がっていたものです。

それが、今では子供達もほとんど普段着。今年は晴れ着を着た子供さんは見かけませんでした。屋台もたこ焼きとアイスのみと寂しいものです。

昔から、村人にとってお祭りはお正月に次ぐ楽しみで、家庭でも魚の姿寿司や赤飯、巻き寿司などご馳走をつくり、大勢のお客さんを迎えたものですが、今年はわが家にはお客さんは来ず。それでも姑は昨日から姿寿司に巻き寿司、赤飯と、たくさんのご馳走をつくり、昔ながらの習慣を守っています。心豊かな暮らしは、こんな習慣にあるのかも知れないと思うこの頃です。