アスティとくしまで開催された、治安維持法国賠同盟(治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟)徳島県本部の3.15記念のつどいに参加しました。
(今年は、3月15日に、さよなら原発実行委員会の総会が開かれたため、1週間遅らせたそうです)
※3.15とは、1928年3月15日に発生した社会主義者、共産主義者等への日本政府による弾圧事件を指します。 1928年2月、第1回の普通選挙が実施されましたが、社会主義的な政党(無産政党)の活動に危機感を抱いた政府は、3月15日、治安維持法違反容疑で一斉検挙を行いました。この弾圧で、日本共産党、労働農民党など関係者、約1600人が検挙、投獄されました。
今回は、戦前、「赤旗(せっき・現在のしんぶん赤旗)」の地下印刷にたずさわった小松益喜(ますき)さんと妻の登喜(トキ)さんの次男、小松伸哉 氏に、ご両親の抵抗の人生と歴史を、自ら作成した両親の年表をもとに話をしていただくというものでした。
小松さんの語りは、今また過去の過ちを繰り返すがごとく、国民の生活を破壊し、秘密保護法を強行し、戦争への道をひた走る安倍政権に対してたたかうものに勇気と気概を吹き込んでくれるものでした。
小松さんが中学生のときに耳にした 友と語る父の言葉、「戦争で殺されるか、戦争に反対して殺されるか。(どちらかを選ぶなら)自分は戦争に反対して殺される道を行きたい」は、まさに平和と人権を守るために私たちがいかに生きるべきかを指し示す言葉として胸に刺さりました。
日本の歴代政府は、この戦前の治安維持法の犠牲者とその遺族にいまだに謝罪もせず、この悪法と弾圧の歴史の過ちを認めようとしていません。世界から非難を浴びている日本軍「従軍慰安婦」問題をはじめ、政府要人の歴史認識問題もその根底には同じ問題が存在しています。
治安維持法国賠同盟はこの問題に正面から取り組み、歴代政権と社会に訴え続けている組織です。