22日~24日、県議団の視察で、島根県の海士町と鳥取県庁に行って来ました。
海士(あま)町は、日本海の隠岐諸島にある人口約2,300人の小さな自治体で、昔、後鳥羽上皇が流され19年間暮らした後に亡くなられたという由緒ある島です。国や県からの「合併せよ!」の圧力に負けず、町単独での生き残りを選択。住民と行政が力を合わせて魅力あるまちづくりに取り組んでいることが全国から注目され、視察ラッシュが続いているそうです。「ないものはない」をキャッチフレーズに、島にあるもので産業の振興をはかり、町おこしに取り組んできた経過などをお聞きした後、町内各地を案内していただきました。
斜面の多い広い放牧場で自由に移動して草を嚼む隠岐牛が、あちらにもこちらにも見え、田んぼが一面に広がる町の風景は、海に囲まれた小さな島だとは思えないほど豊かでゆったりしていました。イノシシもシカもタヌキもサルもいないので、鳥獣被害はないというのも、うらやましい話です。
「本土」との交通は今も昔も船便という不便な土地柄ですが、よそ者を歓迎し、「島流し留学」というユニークな取り組みで、島にある県立高校を廃校の危機から増員に転じることに成功。今では、各学年1クラス増えたという教育分野の取り組みも興味があったのですが、日程の関係で、今回は、町内案内の際に、校舎と寮を外から見学しただけでした。
町内を歩いていて驚いたのは、若者が多いということ。私たち県議団が宿泊した民宿の主も従業員も若い方でした。若い人が、この町に魅力を感じ、次々と集まってきて企業する、それを住民も行政も後押しする― この好循環が、この町を活性化させているのだと感じました。
民宿で夕食を摂った時も、周りは若い人ばかり。隣の席には大学生のグループ。埼玉から来たと聞いて、びっくり( *゚A゚)。みなさん、授業をやりくりして、田植えの体験に来たとのことで、町内視察の際、田植え中のところを見かけました。
財政危機を脱出するために、町長は自ら50%の報酬カットを今でも続けている、職員もそれにならって給料カットを申し出て、そのカット分はすべて住民の子育て支援に充てたそうです。(今では、一般職員の給与カットはしていないそうです)その役場職員の覚悟が、議会、住民を動かし、14ある集落すべてが協力し合い、集落のことは集落で解決していく気風がつくられたとのことです。
産業振興、町の活性化の取り組みについてレクチャーしていただいた海士町役場の地産地商課長さんの熱い語りからも、町内案内をしてくださった交流促進課 観光商工係長さんからも、行政マンとしての誇りと気概を感じました。この町の振興をはかるために、徹底した現場主義を貫き、役場職員一人一人にその道のプロになることを求める、そのためには10年間くらいは人事異動をしない― 町長の覚悟とぶれない姿勢が背景にあるのだと思いました。(地産地消でなく、「地産地商」としたのは、町の産物を町内で消費するだけでなく、町外に売り出し儲ける=商いをするという意味だそうです)役場職員が毎朝6時に農家を周り、産直市の産品を集めに回る、高齢者の見守り活動も兼ねているという話にも驚きました。
今回、海士町への視察については、町が企画している日程と合わず、受け入れ担当の係長さんには、ずいぶんご面倒をおかけしました。
取り組みについて、資料で事前学習はしていましたが、来てみて初めてわかることも多いと感じました。お世話いただいた関係者のみなさん、ありがとうございました。